2016.01.9
「リスク」をとるという考え方

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「リスク」の意味;自分へ確認

「リスク」とか「リスクをとる」って言葉、、自分でも深く考えずに使っているのでは思い再確認してみます。

「全てを失ってしまう」「想定外のピンチに巡り合う」そのことについての覚悟のように錯覚してはいけない。
「リスク」とは失敗してもそこで起こる危険をあらかじめ想定していて、その危険をコントロールでき生き残ることができる範囲のことでなくてはいけない。
だから例えば「ハイリスク、ハイリターン」などという言葉もたとえ失敗しても被害を確実に制御でき、なんとか立て直すことができる良質な危機的範囲であり、「失敗したらどうなるかわからない、全てにおいて何が起こるかわからない」はリスクと言えない。

このことを書くのもそんな状況がようやく自分でわかってきたからです。

「リスクをとる」とは「バックアップが考えられている状況

つまるところ、何かが発生してから対策を講じるわけでなく、事前にあらゆる負の可能性を洗い出し、発生したらすぐに「何をどうする、どんな順番で、、」どこまでも用意周到であれ、とういことですね。

自分を騙すことはできない

バックアップを考え始めると、自分がチャレンジしようと思っていたことにネガティブばかりが優先し、恐怖に包まれることがしばしばある。
「なんとかする、なんとかなる、、大丈夫。。いやいやそんなわけない、、」
自分を騙すことはできない。大抵そんな時は人に伝わらない。
やっぱり自分自身が「ここまで考え抜いて、あらゆる努力をやってきた」と腑に落とすところまでやり抜かないと恐怖に打ち勝つことができない。

「自分はなにがしたいのか」「なにをやろうとしているか」振り出しに何度も戻ってしまう。振り返ると気が遠くなる自問自答ですが、ある瞬間す〜ぅと抜ける?突破できる時がある。そのとき自分ごとではなく、自分以外の誰かへ(大きく言えば社会)尽くすことができるかのような「夢」が「志」に変っている。

「リスクをとる」ということは
「誰よりもそのこと」を考え抜いているということ。