2015.04.18
「素直」と「頑固」の境界線

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「頑固」とまでしなくてよいが人は自分の意見を持つように言われる。曲げれないことは曲げれないとはっきり言えるべきだと思うが、それは「頑固」なのか。一方そればかりだと、「素直」ではないと言われる。

「頑固」や「素直」について考える時、大前提で注意しなくてはならないことがある。自分でもそのようなことを考えるシーンはよくあるが、そのことを計る対象は常に自分以外の誰かであるということ。そしてこの事のほとんどが自分を見つめなおすというよりも、誰かを評価する感情が強いことである。本来の対象である圏外に自分を置いてしまっている”私”という存在には、恐ろしいほどに無頓着であることに気付く。

例えば、子供に向かって「素直」でないと言い、口答えするようなことがあれば「もっと素直になれ」と言っても、その「素直」さの基準で自分自身を計ることがそう多くないのではと思う。
「素直」という言葉が、知らず識らずのうちに誰かの行動、思考に課する表現になってしまっていることはとても危険だとも思った。

モデルや経営者として人生を歩んできた僕は、芸を磨く、ビジョンを描く上で正しいことを受け入れて行くことの大切さは若輩ながらも知っているつもりである。しかしそれを知った上で、作られる「頑固」さは非常に大切であることも体験から学んだように思える。

他人の言葉に耳を傾け、判断し実行するわけだが、正しいことだからと言って全てをその通りに受け入れていたのでは自分がなくなってしまう。人の言葉に耳を傾けつつもそのことを反芻した「頑固」さというか、自分に対する自信を持っていなければ潰れてしまう。

「素直」であることは実に難しいことだ。何に対して、どのように判断することが「素直で心地よい頑固であるのか。」いずれにしても一旦静思することが大切と思う。